Maison Margiela/メゾンマルジェラ
 

1988年 ベルギー人デザイナー、マルタン マルジェラによって設立
1989年 パリコレクションデビュー

1997年〜2003年 HERMÈS エルメスのレディースプレタポルテのデザイナーも兼任
2009年   マルタン マルジェラが自身が創設したブランドを離れ、
               社内のデザインチームが引き続きコレクションを制作することが発表された。
               マルタン マルジェラは2008年に引退しており
2014年    
英国人クチュリエJohn Galliano(ジョンガリアーノ)がクリエイティブ ディレクターに起用されました.
2015年 ブランドの進化を反映しブランドネームを「メゾン マルジェラ」に変更.





ファッション史に大きな影響を与えたと言われるデザイナー
マルタンマルジェラ


20世紀を定義する業界で最も重要なデザイナーの 1 人としての地位を確立し、
常に時代の美的価値に挑戦し、服の概念を解体し続けたデザイナー。

メゾンマルタンマルジェラの歴史の中で、
ずっと変わらなかったキーワードが「匿名性」。
これは、“デザインの本質”を伝えるためにマルタンが掲げる哲学的なものだ。

一切公の場に姿を現さず顔を明かさず、写真を撮られることを拒否し、
あらゆる取材や撮影を断り続けメディア上で匿名性を貫いたマルタンマルジェラ。
ほとんどのコミュニケーションをファックスで伝える習慣があるため、
「ファッション界の透明人間」と評された。
 




1989年にパリで発表したデビューコレクションはパリのCafe de la Gare in Parisで開催された。

1980年代のきらびやかなショーが主流であった会場とはかけ離れた
アンダーグラウンドなスポットで、
シンプルなコットンランナーが敷かれたランウェイとなった.

さらに、モデルの顔を布で覆った。
顔が消えると服とその動きだけが際立つ。
観客の視線を服に集中させた。

衣服は未完成のままにされ、
縫い目が衣服の外側に残され、
糸がほつれて垂れ下がり、
切りっぱなしの裾や縫い代などが表に出た服づくり.

露出した裏地や縫い目の裏側にある美しさがわかります。
彫刻されたシルエット、型破りな質感と素材。

意図的に衣服の縫い目や構造を見せる「脱構築」を
前面に押し出した。
衣服の構造を一度解体してから再構築する「脱構築」。

衣服の解体とは、古い衣服の一部を切り取って再組み立てし、
裏地や内側の部分を見せることを意味します。
新しい方法でパターンを分離して再組み立てします。

ファッションとは、デザインにフォーカスするべきであり、
その他のものは気が散る要素でしかない。
メゾン マルタン マルジェラにとってはモデルの顔も、
自分自身の顔も余分なものとされる。
服に語らせるために服に集中できるように
その言葉を証明するかのように、コレクションでは、
目隠しをしたモデルや、顔を覆ったモデルたちが度々登場していた。

衣服への注目を取り戻す。
マルジェラは自分のプロセスについて公に話したり、
服の解釈を提供したりすることに消極的だった。
マルタン マルジェラは常に衣服を優先していた。

シグネチャーである足袋ブーツは靴底に赤いペイントを施し、
ホワイトカーペットにプリントを残した。
時間をかけた作品なら強い印象を残したい
そのための仕掛けとして出演前のモデルに赤いペンキを踏ませた。



流行していたゆったりとしたシルエットに対して細身のシルエットを提案。
煌びやかなファッションに身を包む高級志向の時代。
当時のトレンドに反するタイトシルエットの「アンチモード」のスタイルを展開。
よりクリーンなカットと洗練された仕上げで、マルジェラは反対の提案をした。

素材も、デザインも、そしてコンセプトも“破壊的な”マルタンのデザインは、
流行からはかけ離れたものだった。

当時のファッション美学を破壊する、
ラグジュアリーに対するアンチテーゼであった。
決してルールに従って行動するレーベルではない。
 
この1989年春夏ファーストコレクションで
現在も展開されているタビシューズ、
Trompe L’oeil(トロンプルイユ)騙し絵が既に登場していた。

シルエットにおいて大事にしたのは肩と靴。
そこから空間を埋めていく。
シルエットと動きにこだわった。


その後も
高級志向の1980年代のアンチテーゼとして、
軍服や古着をリメイク、新しいものにあえて色褪せや
ほつれといった加工を施してダメージデニム、
ボロボロのニットといったアイテムで作り上げた
貧困者風のスタイル(ポペリズム)を提案し、
既存の煌びやかなファッションショーやコレクションを否定。

それまでのトレンドを覆すデザインは「デストロイ・コレクション」とも呼ばれ、
その後90年代に流行する、グランジファッションの先駆的コレクションとも。
最初にマルジェラが作った。と言っても過言ではありません。

レコードや靴下などいわゆる
ファブリックではない素材を利用するなど、
探究心とユニークな世界観に満ちた常識を覆す作品を次々と発表し
ファッション界を揺るがせた。

「モードとは斯くあるべき」という概念を覆し、
世に溢れる様々な物体に与えられた役割や用法から解放することで、
「脱構築(デコンストラクション)」という流れをファッション界に持ちこみました。

コレクションとは豪華な会場で発表する場という慣習を破り、
町はずれの空き地で近隣住民を招いて開催したり、過去のデザインを再構築するなど、
高級志向に背を向けた唯一無二の “デストロイコレクション” であった。

このアプローチは、1970 年代の服装の自由と共通点を持ち、
ファッションや豪華さ、虚飾、誇示する考えに従うのではなく、
リサイクル素材の使用を支持する新しい庶民的なファッションへの道を開いた。

時代の常識を覆すクリエイション。
服の破壊と再構築。  
内側の仕組みを解き明かして研究し続けそして再構築する
考察、観察、本質を見極めた破壊のモード。

その一方で世界を俯瞰して 
遊び心のあるアプローチで軽さとユーモアをもつ
対立するものの研究を続けた一方で
静かな思慮深さ。

ファッション界にそれまで無かった概念を持ち込み、
数々の革命的なコレクションを展開してきたマルジェラ。
インパクトの強さと遊び心から世界に衝撃を与えました。


4つの白いステッチ
「匿名性」から生まれた象徴的なタグ
メゾン マルタン マルジェラの服であることを象徴するタグも
「匿名性」にも通ずる表現だ。

各アイテムには、外側から見える4本の白いステッチで
識別ラベルが衣服に貼り付けられています。

ブランド名は付けられておらず、
生地に4本のシングルステッチだけが取り付けられています。

多くのブランドが大胆なロゴやブランディングを使用するのに対し、
メゾンマルジェラはより控えめなアプローチを採用しています。

前衛的なブランドの控えめな象徴。



白いステッチであしらわれた無地のタグは、
ブランドの名前が本来書かれているはずのタグが取れたとき、
その服の価値はそのままであり続けられるのか?
という服の本質的な価値を問いただすための手段として用いられている。

当時は服を買うお客さんが必ずタグを見て 
あの誰それの服と盛り上がる時代だった 
そんな風潮が嫌でたまらなかった。
...だからこうした。
四隅を縫いとめた真っ白いタグはやがてブランドの目印になった。

なお、タグには番号が書かれているが、その番号にはすべて意味が存在しています。

〜 WHITE / 白 〜
ホワイトはマルジェラの代表的なカラーであり、
埋めるための空白スペース。
デザインに前衛的なアプローチを採用したマルジェラの衣服は、
特に白という色に重点を置いて解体、再構築され、シャープな仕立てと
型破りな素材を利用して、未来を見据えた独自の美学を表現しました。

 

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「有名人になりたくない。匿名でいることでバランスが保てる」
顔じゃなく僕の名前は作品と共に記憶されてほしい。

ブランドの成功とは裏腹に、
デザイナーのマルジェラは表舞台へ一切現れなかったことで知られています。
メディアへのインタビューは全て書面を通して行われ、
顔写真もほとんど公開せず匿名性を貫きました。
デザイナーのスターとしての地位を促進するのではなく。

公の場に姿を現すことを一切避け、
彼はランウェイショーの最後に伝統的なお辞儀をしたことは一度もなかった。
一般的にパリコレクションのショーを終えれば、
デザイナーたちはジャーナリストの前で会見し、
その後さらに特別な雑誌の取材に対応しなければいけない場合がほとんど。
特にマルタンがデビューした1980年初期は、
デザイナーの顔がブランド名より先行する時代でもあったから
尚更それが“当たり前とされていただろう。

公の場に出ることはマルタンにとって、
自分が本当にやらなければいけないこと、自分が考える“デザインの本質”から逸れてしまう行為だった。

マルタン マルジェラはそれは多くのデザイナーを取り巻く個人崇拝を避けた.
その代わりに匿名性を貫き、
ファッション業界の慣習をもさらに解体した。

本当の意図は、服装の背後にある個性ではなく、服装に焦点を合わせ直すことでした。
「デザイナーの役目はデザインを創り出すことであって、デザインを語ることではない」

自分のデザインを貫き通したマルタンマルジェラ。
そのデザインにやっと世界が追いつくようになる。

マルタンはパリの街で自分が手掛けたデザインのコピー商品を見つけ、
世界に受け入れられたと実感した。

受け入れられたことが嬉しい反面、マルタンは落ち込んだ。

なぜなら、“コピーされた”ということは、
自分がまた新たにアイディアを発明しなければいけないということでもあるから。

長い年月をかけて自分の道を切り開いていたマルタンは、
皆に認められる新しいデザインを生み出すことがどれだけ大変であるかを知っていた。

「いつも自分を追い込んできた。発見を求めて無理をするのが好きなんだ。僕は自分に厳しかった。」




そして20年間の活動の中で、HERMÈS/エルメスのデザイナーに就任するなど、
パリの代表的なデザイナーへと成長。

しかし絶頂期とも思えた2008年に、突然の引退となった...。



 

<Maison Margiela とガリアーノ> 
新しい歩み

歴史への敬意をガリアーノ流に表現

現在はジョンガリアーノがクリエイティブディレクターを務め、
職人技を持つブランドの遺産を熟知し継承しています。

2014 年に指揮を執って以来,マルジェラの複雑さと探求的なビジョンに忠実であり続けてきました。
物事を裏返したり逆さまにしたり、アップサイクルされた生地の層を混ぜ合わせたり変化させたり...
ブランドを象徴する脱構築的デザインを踏襲し、クラシックなシルエットを蘇らせました.
ブランドの詩的で概念的なクチュールのビジョンを継承しています。
ブランドネームを Maison Margiela(メゾン・マルジェラ)へと変更し、
ブランドは新たな一歩を踏み出しました。

足袋シューズやジャーマントレーナーといった初期からの代表作はそのままに、
ガリアーノが考案した5ACやGlam Slamグラムスラムなど、
ブランドの新たなアイコンが登場。

脱構築的なトレンチコートやパッチワークデニムなど、
マルジェラルピリットを引き継ぎつつもガリアーノらしさを感じるデザインは
新たな Maison Margiela の魅力の一つになっています。

2012 年に受賞したブランドの「オートクチュール」の称号を維持し、
2014 年に指揮を執った実験的な英国人デザイナー、ジョン ガリアーノは、
ブランドの詩的で概念的なクチュールのビジョンを継承しています。

ガリアーノの職人技によるコレクションは、メゾンの偶像打破の伝統を称え、
再加工されたシルエット、大胆なカット、ダメージ加工、現代的な仕立てによって、
新しい概念主義の領域に到達しています。

前衛的な美学で知られる Maison Margielaは、
現在、メゾン マルジェラはそのユニークな伝統を尊重しながら、
今も常にモダンなデザインの枠組みと
現代ファッションの限界を押し広げ続けています。

マルジェラが築いた独特の感性に、
ガリアーノとクリエイティブチームが新しい息吹を吹き込んだ Margiela。
驚きと創造性に満ちたコレクションに未来に期待できます。